青い森ネイチャーガイド協会の勉強会に参加した。
山岳遭難史上最大の事故である「八甲田山雪中行軍遭難」の資料を展示している資料館と陸軍幸畑墓園からなる施設だ。
わが家から歩いて15分、歩いてみたのは初めてだが、
ちょうど満開の桜が散り始めて桜吹雪。思わぬ花見ともなった。
新田次郎氏の小説や映画での理解はあるものの、その陰の秘話や新たな事実などをガイド氏から案内されてなるほどなるほど。
遭難した、青森歩兵第5連隊の主力は宮城県、岩手県の出身者で率いる将校も他県出身が大半であった。計画、装備、指揮命令系統、悪天候、、大量遭難を招いた要因は様々であるが、青森県人出身者で構成された弘前連隊は少数精鋭、現地ガイド、糧秣現地調達などの準備ではるかに長い距離を踏破して成功した。
痛ましい事故の陰で成功者の功績は隠れている事実はあるが、失敗の教訓と成功の教訓を合わせ持つこの事故は、100年以上たった今でも学ぶべきことの多いテーマといえるでしょう。
遭難後の救援捜索活動に、北海道アイヌ人・弁開凧次郎さんらとアイヌ犬の活躍があったことは私の知らない事実でした。捜索中に産まれた二匹のアイヌ犬の子犬が「八甲」「ベンケイ」と名付けられて愛された後日談もまた悲しみの陰に隠された秘話だったんですね。